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子猫を集めて積む

暫定手控えより正直に書くつもりの記録。言葉だけは惜しまない。

喪中

2017年の元日を迎えた。微信の上でも facebook の上でも「あけましておめでとう」が飛び交っている。中国にいると,大晦日から元日にかけての年越しを「跨年」と呼んだりして農暦の「新年」と区別するので,なんだか実感がない。人によっては明日が期末試験だというから,日本人の感覚では信じられないが,これが普通だ。

 

三度目の中国での年越し。日本の年越しの騒ぎ方は嫌いじゃない。一昨年は学校のカウントダウンイベントのようなものに参加して賑やかに過ごした。去年は寮で友人たちとカレーライスを作り,bilibiliで紅白やジャニーズのカウントダウンライブを見ながらビールを飲んで年を越した。今年は,日本人と中国人の友人たちと手巻き寿司パーティーをしたあと,友だちの部屋でレコードを聴きながら静かに年を越した。

 

今年は,大晦日の一日もとても穏やかに過ごした。すきな短編の小説を読み返し,コーヒーを飲んだり部屋を掃除したり,年末に起きた小さなうれしいことをひとつずつおもい返したりして,なんだか理想的な年納めだった。でもなぜか,いざ元日を迎えてみてどこか気が塞ぐ。おかしいな。「笑ってはいけない」をリアルタイムでは見ていないからだろうか?紅白の話題についていけないから?北京の空が汚れて真っ白で,朝から陽の一筋も射さないから?おそらくどれも違う。そして,昼に寮のキッチンで昨日の手巻き寿司で残った酢飯でチャーハンを作って食べながら,ふと,日本の携帯電話を取り出して家族に連絡しようとしていない自分に気がついた。

 

そして更に突然気が付いた。そういえばうちは喪中だ。

 

昨年の5月か6月ごろ,父方の祖母が亡くなったらしい。このことが私の心に起こした波は穏やかなものではない。その意味は,祖母が亡くなったことが辛いというものではなく,私にこの事実が知らされたのが7月下旬だったことが受け入れられなかったということだ。

 

私が夏休みに一時帰国するためのチケットを取って日程を知らせるために母に電話したときだった。「~日に帰るよ」と言った私に対して母が,「そういえば」といって伝えてきた。両親は私に祖母の逝去を2ヶ月近く黙っていたのだ。「そういえばおばあちゃんが亡くなったんよ。あなた夏休み,どうする?」みたいなことを言っていた。

 

どうするじゃねーよあんたなにいってんの,とでも言えたらよかったのだが,そうするわけにもいかず,電話口でひたすら言葉を選びながら何かを言い続け――この相手に通じる言語が少なすぎることがいつも私を気が狂うほどに煩わせる――,結局はしばらく母を罵っていた。2ヶ月も?そのあいだ何度か別件の用事でやりとりもしたはずなのに,なぜその度に黙っていたの?彼女は,こちらが驚き呆れて全てどうでもよくなるほど私の怒りを理解していなかった。「父さんが黙っておけっていったんよ」みたいなことを言っていた。黙っておかないといけない理由も理解できないが,なによりこちらが怒っているのに申し訳なさそうな様子も感じとれないそのときの彼女の語気,それから父が言ったから自分は従っただけといういつもの態度は本当に腹立たしいものだったので,もう思いだすのをやめる。

 

父にとっては自分の母親を亡くしたわけだし,そのために家庭内が混乱してしまい,外国にいてどうせ葬儀にも初七日にも間に合わない私への連絡が数日遅れたとでもいうなら,理解できる。でも2ヶ月はどうなのか?この時間差と「あいつには伝えなくていい」とおもわれていた事実によって,私は祖母の死に対する悼む気持ちや冥福を祈る気持ち,その他の何もかもを抱きそびれた。心の中のどこを浚っても,なにも出てこない。身内が死んでも,もう会えないことが事実でも,他の人――たとえば祖母のそばでずっと世話をしていたおばたちの気持ちを想像してみても,それでもここまでになれるのかと不思議におもうくらい,なにも実感が湧かない。気持ちが陶器のように冷たくつるんとしている。悲しみそびれたのだ。この泣き虫の私が,二人の祖父の葬儀でしくしくわんわん泣いていた私が,いまだに一滴の涙も流せていない。それか,大人になって本当は誰のことも身内だとおもえていないことが,こうして明らかにされたのかもしれない。

 

あの電話のとき頭の中をよぎったのは,この家族は弟が急に死んだって私には知らせないかもしれない,父方の祖母より関係が深い母方の祖母が亡くなっても,まして父母のどちらかや両方がある日死んだって,私が日本の家に帰って家族が誰もいなくて初めて「え,死んだの?」と気が付くようなことを平気でしてくるかもしれない,ということだった。そして,私がどこかで死んでも,その知らせがこなくても,あとから知らされても,この人たちは平然としているのかもしれない。あのこはわがままだったけど,やっぱり最後もわがままだったね,どうしてうちのはあんな風なっちゃったのかね,こっちの気も知らずに,と言うかもしれない。そんな考えばかりが湧いてきて,いっそのこと本当にそうであってくれとおもった。

 

なにが言いたいかというと,家族との関係がとても難しい。しんどい。これまで他にもいろんなことが起きてきたし,進行中でもある。できるのであれば二度あの家に帰りたくない。自分が死ぬことで誰にも迷惑をかけずに縁が切れるなら,そうしたい。2017年元日にまず考えたのはこのことだった。そして,このことを知ってか知らずか,「お母さんに連絡とらないの?」とか「お父さんが入院したなら帰るべきだよ」だとかの言葉を吐きかけてくる人たちのことを,つるんとした白い陶器の心から一人ひとり追い出していることを,そうした幼稚でどうしようもない自分を,どうしても神さまに許されたい。

 

他人の家庭の幸せを垣間見るのは全く問題ない。昔は受け入れられなくて人の幸せに中てられて一人で隠れて泣いていたこともあるが,いまは問題ない。ただお願いだから,私に,家族とはこうあるべきという「いい関係」の価値観を押し付けないでほしい。死んでしまうから。

――2483